編集者の力量も疑問
| 写真 | 商品名 |
![]() | 松田聖子と中森明菜 (幻冬舎新書 な 1-2) |
80年代に小学生時代を過ごし、ベストテンに親しみを持つ世代として
そして中森明菜のファンとして思わず手に取りました。
文芸論として論じるというスタンスは面白いですが、
ほとんどが松田聖子論で、中森明菜に関しては論考は量・質ともに物足りなく、
二人を比較しての論考を期待していたのだがそれもいまいちで、がっかりさせられました。
タイトルが「松田聖子の世界」だったら納得なのですが、
明菜ファンとしては「コノヤロー、ネタに使いやがって!」という気分です(笑)。
芸名/本名とアイデンティティ(この言葉は使わなかったが)の関係など
説明不足で、特に後半は急ぎ足だったように感じます。
膨大なデータは読みにくいので、ある程度まとめて提示して貰いたいと思います。
大量のデータが羅列してあると論述の信憑性が増すようなイメージがありますが、
単にデータの整理解析がきちんとされていないように思えます。
データと主題がちゃんと結びついておらず、練れていない、なんだか草稿段階のものをそのまま出してしまったようにも見えます。
あと、筆が走り過ぎたというのでしょうか、
アイドルの意味を強調し、あるいはレコード大賞の運営を批判するあまり、
演歌に対して必要以上にネガティブな評価を下しているように思えます。
(作詞作曲をせず)歌うだけの歌手にも創造性はあると言う主張につづけて、
「クラシックの演奏家は楽譜を演奏するだけで創造性がない」と受け止めかねない表現が出てくるのは、この人が本当にクラシック批評されているのかな、と疑問ですし、少なくとも編集がきちんとされていないやっつけ仕事の感が否めません(文脈上クラシックを引き合いに出す必然性は全くないので、編集者がちゃんとチェックすべきところ)。アイドルから入ってクラシック、民謡や演歌も大好きな自分としては引っかかりまくりの本でした(笑)。
この程度の本でも売れてしまう、松田聖子と中森明菜の名前の偉大さは改めて感じます。
引用元:編集者の力量も疑問
この本が発売されたのは、いわゆる「聖子の暴露本」が数冊発売されていた時期であった。「ファン」という言葉で自分を称するには違和感を覚えるほど松田聖子にこだわりのある私は、暴露本のくだらなさに辟易していたが、この『素顔の松田聖子』は明らかに類を異にするもの、正に『素顔の松田聖子』である。何よりの特長が、著者が松田聖子を褒めるけなすというレベルで書く意志を持たない点である。個人的な喜びとしては、今まで雑誌やステージ、電波などを通して、数々の松田聖子に触れ、自分なりに解釈した上で彼女にこだわりを持ち続けてきた私が、「私の松田聖子観は99%間違っていなかった」と確信出来た嬉しい1冊である。著者の成川照美さんと是非ともお会いして、現在そして今後の松田聖子の課題を語り合いたい、とずうずうしくも思ったものである。
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