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あいにく私は彼女の現役時代のことなど知る由もない。彼女がこの本を上梓し、そして
引退したのが1980年、私が生まれたのがその翌年のことなのだから、それも当然か。
映像の断片で知る彼女はいつもどこかぎこちなかった。醒め過ぎて、落ち着き過ぎて、
そのくせやけに情緒的。居直り切っているような、すべてを隠しているような。鳥肌を
誘われるほどに美しくはあるが、決してかわいらしさはない。それこそ今の時代を生きていた
ならば、沢尻エリカどころではないバッシングを浴びるか(事実、国民的アイドルであった
当時でさえも、苛烈なスキャンダルに晒され続けてはいたようだが)、限りなく誰の目にも
留まらぬまま消えていくか、の二択しか残されていなさそうな、そんな雰囲気、そして、
そんなことをまるで気にしなさそうな、そんな雰囲気。
彼女は世界を素通りし、世界は彼女を素通りしていく。
「孤独」、あるいは「孤高」ということばがこれほど似合う人もそういない。
いつからかはまるで心当たりはないのだけれども、気づいてみれば、私は彼女に魅せられて
いた。
そして、その雰囲気を寸分の誤差もなく表現してみせたのが、この『蒼い時』。その記述は
ときに冗長でけだるくもあり、しかし、絶えず底流を貫く例の「孤独」の感覚は紛れもなく
山口百恵の佇まいそのもの。
単純な文学的資質の面で言えば、綿矢りさや金原ひとみごときでは比較にならないほど上。
というよりも、純粋な器の問題として、現代日本作家で肩を並べる人間が私には男女を問わず
思いつかない、それほどまでに傑出した素材、それほどまでに暗い葛藤を内に抱えた人間。
その過剰な資質のはかない「蒼さ」が惜しくもあり、すばらしくもあり……。
タレント本などというどうしようもないカテゴライズをはるかに凌駕して、評価され、
読み継がれるべき一冊。
引用元:生きてみます、私なりに
生きてみます、私なりに
| 写真 | 商品名 |
![]() | 蒼い時 (集英社文庫 126-A) |
引退したのが1980年、私が生まれたのがその翌年のことなのだから、それも当然か。
映像の断片で知る彼女はいつもどこかぎこちなかった。醒め過ぎて、落ち着き過ぎて、
そのくせやけに情緒的。居直り切っているような、すべてを隠しているような。鳥肌を
誘われるほどに美しくはあるが、決してかわいらしさはない。それこそ今の時代を生きていた
ならば、沢尻エリカどころではないバッシングを浴びるか(事実、国民的アイドルであった
当時でさえも、苛烈なスキャンダルに晒され続けてはいたようだが)、限りなく誰の目にも
留まらぬまま消えていくか、の二択しか残されていなさそうな、そんな雰囲気、そして、
そんなことをまるで気にしなさそうな、そんな雰囲気。
彼女は世界を素通りし、世界は彼女を素通りしていく。
「孤独」、あるいは「孤高」ということばがこれほど似合う人もそういない。
いつからかはまるで心当たりはないのだけれども、気づいてみれば、私は彼女に魅せられて
いた。
そして、その雰囲気を寸分の誤差もなく表現してみせたのが、この『蒼い時』。その記述は
ときに冗長でけだるくもあり、しかし、絶えず底流を貫く例の「孤独」の感覚は紛れもなく
山口百恵の佇まいそのもの。
単純な文学的資質の面で言えば、綿矢りさや金原ひとみごときでは比較にならないほど上。
というよりも、純粋な器の問題として、現代日本作家で肩を並べる人間が私には男女を問わず
思いつかない、それほどまでに傑出した素材、それほどまでに暗い葛藤を内に抱えた人間。
その過剰な資質のはかない「蒼さ」が惜しくもあり、すばらしくもあり……。
タレント本などというどうしようもないカテゴライズをはるかに凌駕して、評価され、
読み継がれるべき一冊。
引用元:生きてみます、私なりに
本書のような「中国における日本映画/ドラマ受容史」という視点は、これまで、「中国映画史」からも、「日本映画史」からも見逃されてきた。日本でそれほど有名というわけではない『君よ憤怒の河を渉れ』が、なぜ中国で「国民的人気映画」となったのか。そのあたりの事情がいろいろ書かれてあり、大変勉強になった。
ただ、「なぜ、“この映画”が“この時期”に流行ったのか」に関する分析は、やや甘い、とも思われる。この手の分析はどうしても後付けにならざるを得ず、「時代がこのような主人公像を求めていたから」的に、結局何も言っていないのと同じになりがちである。著者にとっても、このあたりの分析はこれから、といったところだろうか。
引用元:
ただ、「なぜ、“この映画”が“この時期”に流行ったのか」に関する分析は、やや甘い、とも思われる。この手の分析はどうしても後付けにならざるを得ず、「時代がこのような主人公像を求めていたから」的に、結局何も言っていないのと同じになりがちである。著者にとっても、このあたりの分析はこれから、といったところだろうか。
引用元:
